【大西洋を渡って】 |
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イタリア人の船乗り【クリストファー・コロンブス】がスペイン女王の承諾を受けて、アメリカ新大陸を発見したのは1492年の事。 |
それは本来『大西洋周りによるアジア発見』を目指した航海だったのですが、偶然西インド諸島に辿り着き、アメリカ新大陸を発見したのでした。 |
ウイスキー |
これに引き続き、イギリスやフランスを中心とする西欧人によるアメリカ大陸の探検と開拓が始まりました。 |
当時アメリカ大陸には、先住民族インディアンが多く住んでいました。 |
ところが開拓者である西欧人たちは彼らを制圧し、1607年、ヴァージニアにイギリスが最初の植民地『ジェームズ・タウン』を建設。 |
その後17世紀後半までに北米東海岸を一手に握り、実に13州の植民地を建設するのですが、それと同時にスコットランドから『蒸留器』が持ち込まれ、蒸留酒造りが行われていました。 |
ケンタッキー州 |
この時に造られていた蒸留酒は主に、果実を原料とするブランデーや、糖蜜を原料とするラム酒。 |
ところが、西欧人を中心とした移民ラッシュはその後さらに増え続け、18世紀にはスコットランドやアイルランドから流れ込んだ移民により、ウイスキー造りが行われ始めました。 |
ワイルドターキー |
【環境に強い『ライ麦』】 |
アーリータイムズ |
前章で書いたように、アイルランドからの移民の先祖は、元々ウイスキー造りをしていた民族。 |
そんな彼らでも新大陸でのウイスキー造りには多くの悩みがあり、試行錯誤が行われました。 |
なにより原材料である『大麦』や『小麦』はアメリカの大地と相性が悪く、うまく栽培が出来ないという事。 |
不安定な収穫に、ウイスキーの原料にまで回せる余裕はありませんでした。 |
フォアローゼズ |
そんな中、寒暖の激しい環境でも、土壌の不安定な土地でも、安定した栽培が可能だったものがありました。 |
それが『ライ麦』でした。 |
安定した収穫が約束された『ライ麦』。 |
豊作時には余りを【蒸留】してウイスキー造りが行われました。 |
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初期はこの『ライ麦』を主原料とした『ライウイスキー』が主流でした。 |
アイルランドやスコットランドからの開拓農民が数多く入植したペンシルバニア州やヴァージニア州周辺には、18世紀後半、『ライウイスキー』の工場が4000以上あったと言われています。 |
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まだイギリス植民地であった当時、本国より『ライウイスキー』に対する課税は厳しく、それに耐えられなく『密造酒』を造っていた工場もありました。 |
月夜に蒸留釜を移動しながら造られた『密造酒』。 |
月夜に行われていたので【ムーンシャイン】【ムーンシャイナー】と呼ばれていた工場を合わせると、どれだけの数の工場があったかは、正確には記録に残っていません。 |
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【潤いをもたらせたウイスキー】 |
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【蒸留酒】には、大きな利点があります。 |
それは『腐敗しない』ということ。 |
【醸造酒】と違ってアルコール濃度の高い【蒸留酒】は、細菌の繁殖はおろか生存も出来ません。 |
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当初、農作物を売って生計を立てていた開拓農民たちは、この【蒸留酒】『ライウイスキー』を作ったことにより大きな潤いを得ました。 |
作物に比べ、馬で運べる量が格段に増えたこと。 |
何より穀物より高値で売れ、さらに高価な馬や牛との交換も可能な上に保存にも優れと良い事ずくめ。 |
【ムーンシャイナー】を含め、数多くの工場が出来たのもうなずけます。 |
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開拓農民たちが造った『ライウイスキー』は、開拓地に運ばれます。 |
もともと『命の水』と尊重されていたウイスキーは、開拓者たちの活力の源。 |
開拓地には『サルーン』と呼ばれた酒場が建ち、そこを中心に街が広がり、労働者たちをはじめ、女性や子供、老人たちまでも朝からウイスキーを飲み、のちに『禁酒運動』が始まるまでに至ったという記録が残っています。 |
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【アメリカ大陸13州、独立の背景】⇒ |