【厳しい環境の中で】

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現在造られているバーボンウイスキーには、独特の風味があります。
芳醇な香りと、赤い色。
別名『アメリカンルビー』と呼ばれているバーボンウイスキーの秘密は、熟成過程にあります。
ウイスキー 
『ライ麦』と『トウモロコシ』を主原料として造られた蒸留酒を、新しいホワイトオーク材で作られ、内側を焼き焦がした樽で保存し、熟成させる。
この独特の樽に入れて熟成する間に、バーボンウイスキー特有の芳醇な香りが出来上がるのです。
ケンタッキー州 
焼かれた樽の内側の成分が、原酒の中に取り入れられる。
寒暖の差の激しいケンタッキーの気候は、その原酒の呼吸をさらに激しいものとし、より独特な味へと変化していきます。
バーボン 
『ライ麦』『トウモロコシ』『ライムストーン』『オークの森林』『寒暖の激しい気候』。
厳しい環境であったケンタッキーは、バーボンウイスキーのための聖地となり、バーボンウイスキーによって経済的な基盤を築いたのです。
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【謎に包まれている バーボンウイスキーの起源】

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内側を焦がした樽で熟成させる製法。
ところが、この内側を焦がした樽が使われ出した記録は、現在残っていません。
果たして一番最初にこの製法を考えたのは誰なのか?
その起源は定かではありませんが、いくつかの説が伝えられています。
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現在もっとも有力なものは、バプテスト教会の牧師であった【エライジャ・クレイグ】牧師が造ったという説。
エライジャ・クレイグ牧師は、1738年、ヴァージニア州オレンジ郡生まれ。
本業のかたわらウイスキー造りに励んでいたエライジャ・クレイグ牧師は、誤って内側が焦げた樽に原酒を入れ、そのまま放置してしまいました。
そしてそれから数年後の1789年、その樽を開封すると、中には赤みがかった芳醇なウイスキーが出来ており、それが現在のバーボンウイスキーの原型になったという説。
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ところが、エライジャ・クレイグ牧師が、バーボンウイスキーの語源であるバーボン郡に住んでいたという記録はなく、説としてはあやふやです。
1789年にジョージタウンにウイスキーの蒸留所を建設したエライジャ・クレイグ牧師ですが、当時ジョージタウンで造られていたウイスキーが、果たしてそれだったのかもわかっていません。
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経営難の蒸留所のオーナーが、魚を運んでいた樽を安く買い、匂いを消すために内側を焼き焦がして熟成樽に使用したという説。
樽を作っていた業者が、誤って樽の材料庫でボヤを出してしまい、そのまま何食わぬ顔で作り上げた樽で熟成させたのが起源だという説。
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1783年にライムストーンから湧き出る水を使い、初めて『トウモロコシ』からウイスキーを造ったと言われている【エヴァン・ウイリアム】氏のバーボン起源説などなど・・・。
未だに謎の多いバーボンウイスキーの起源説ですが、それでも起源はアメリカ合衆国が正式に発足した1789年頃だったのは確かなようで、やはりアメリカの歴史と共に歩んできたお酒なのです。
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【造り続けられる命の水】

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どうあれケンタッキー州バーボン郡で造られたバーボンウイスキー。
蒸留酒の製造はアメリカ第三の産業となり、1810年にはケンタッキー州に2000以上の蒸留所がありました。
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1846年、初めて『バーボン』という名称がラベルに印刷され、アメリカ国内で認知され始めたバーボンウイスキー。
1876年には蒸留酒の税収が、国税の半分を占めていたと言いますから、どれほどバーボンウイスキーが飲まれていたことかと想像させられます。
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後にバーボン郡は境界が変更され、現在ではアルコール類を造っている所はありません。
ケンタッキーを潤した、アメリカの命の水『バーボン』。
ルイヴィル地区、フランクフォート地区、ローレンスバーグ地区、バーズタウン地区・・・。
現在多くの蒸留所が立ち並ぶ各地区では、今も昔ながらの製法で、命の水を造り続けています。
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【確立されたバーボンウイスキーの規定】

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